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凡夫と聖者の間に横たわるマリアナ海溝

内田樹氏が自らのブログの中で(トラックバックをはりたいが、やり方がわからない)、男の口説き方について述べていた。

「あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの」

これで大半の男は落ちるのだという。氏は続けて、自分のバカさ加減に適切な自己評価を下している男の場合、これは通じないため、さらなる二次攻撃が必要とされるという。それは

「私、あなたのルックスが好きなの」

これで、どんな男でも「あっという間に崩れ去る」のだという。

氏の論を読んで以下のように思った。
 人は「自分を評価してくれる」ことにめっぽう弱い生き物である。学歴、肩書きなどは客観的なものさしなので人によってはほめるツールに使えないこともあるが、「隠れた才能」「人によって好みの違いのあるルックス」、これはどうとでも解釈できるので、人種、宗教、社会の壁をこえて使用が可能である。

人はエゴを満たしてくれる人がとても好き。これは女性だってそうだろう。

「あなたがいなければ生きていけません」

このように「自分が必要である」と男性から訴えられて、ちらっとでも心の動かない女性がいたとしたら、それはお迎えの近い老婆か、日本語を解さない女性であろう。

人は誰でも自分が、認められたり、ほめられたり、おだてられたり、するのが好き。相手の心をつかもうとすれば、相手の自尊心をくすぐればいいだけである。しかし冷静に考えれば、このようなことを言われて簡単に落ちるような男や女を配偶者にえらんで果たして幸せになれるのかという疑問は残る。

だって自分のことしか考えてないんだよ、相手は。

でだ。昨日なにげに手にとった『チベット通信』(2005冬)にダライラマ猊下のスピーチ(2005年10月23日)が載っていて、そこには、以下のような言葉があった。

チベット国内にいる人は気持ちを率直に話す機会がありませんから、中国の言いなりに、言うとおりにしなくてはなりません。
自分の命を危険にさらしてまで、私を尊敬し、祈る必要はまったくありません。
拷問を受けた場合、私を批判することで拷問が軽くなるなら、そうしなさい。
生きるためにはそれが一番手っ取り早い方法です。その方が私も嬉しいのです。

このスピーチに限らず、ダライラマは、病気をおして、あるいは体制の壁をこえて彼のもとに参じようとする熱狂的な人々に対して、「自分は一介の修行僧である。特別な力はなにもない」と、自分に対する過度の崇拝を戒めている。

さすがは猊下、やはりわれわれ凡夫とは人間としてのランクが違う。

しかし、その飾らない人柄がさらに熱狂的なファンをふやすので、彼の警告はじつはまったく意味がない(笑)。たとえば、このスピーチの行われたちょうど一ヶ月後(日付まで同じ)の11月23日にデプン寺の僧侶五人が、ダライラマを非難する文書へのサインを拒否して逮捕されている。国際社会にも流れたニュースなので記憶されている方も多かろう。

凡夫と聖者の間にはマリアナ海溝よりもふかい深淵がある。われわれ凡夫は、聖なるものに恋いこがれるが、煩悩のある限りこの溝は越えられない。凡夫がこの深淵を越える唯一の手だては、絶対的に聖なるものに殉じることだと言う人もいるが、ダライラマの発言などを見るにつけても、それをされても聖者や仏教の側は迷惑だろうなと思う。


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